2022/01/09 17:20

皆さん、こんにちわ!

Cultuart Hatch(カルチャートハッチ)です!
大感謝祭セールも残り2日間となりました🙌
御来店して頂くだけで、抽選会に参加して頂けますので是非店頭までお越しくださいませ!
当選アイテムは、1/11より発売の新作を含むアイテムとなります🤘
お楽しみにお待ちくださいませ!

さて、本日は、アスリートだけではなく、ストリートからも支持を受ける。
その代表的なアイテム達を紹介して行きたいと思います!
是非最後までご覧ください!

1.コルテッツ

1969年に発売したトレーニングシューズ。
このコルテッツは、アメリカでオニツカ製品を販売していた”NIKE”の前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)社が生み出した。
BRS社の共同創業者でもあるビル・バウワーマン氏の試行錯誤のよって完成。軽量でクッション性に優れる。
1971年にBRS社とオニツカは決別。同年6月には「SWOOSH スウッシュ」と呼ばれるロゴマークが配されたシューズがナイキ名義で販売。一時期、オニツカ性とナイキ製の2つのコルテッツが市場に存在していた。1974年BRS社が「コルテッツ」の商標使用権を得る形で勝訴。オニツカは、「コルセア」という名に変更した。

2.エアフォースワン


1982年に発売した「ナイキエア」を搭載した初めてのバスケットボールシューズ
発売当初はHiカットの展開だったが、1年後にLowカットを発売。1986年にAIR FORCE2が発売し、それに伴い生産終了
だが復活を望む声が多く、ボルチモア地区にある3つのシューズショップ「チャーリー・ルード・スポーツ」「ダウンタウン・ロッカールーム」「シンデレラ・シューズ」がナイキ本社に直訴。1988年に最初のオリジナルモデルが復刻
1994年には、ファッション性を重視したMidカットが発売。2001年に様々な新色が世界的に展開し、2002年にはヒップホップ・ミュージシャンのネリーが、「エア・フォース・ワンズ」を発表。その影響もあり、2000年代中頃に大ヒットし市場に浸透した。

3.エアジョーダン1


1985年に発売したマイケル・ジョーダンのシグネスチャーモデル。当時、ジョーダンは大学生中心のロサンゼルスオリンピックで活躍し、シカゴ・ブルズに入団。大学生時代はCONVERSEと契約しており、本人はadidasフリークであったが、「AIR JORDAN」のアイデア5年総額250万ドルの破格の条件で契約。
また、当時のユニフォーム規則は白以外禁止であったが、ブルズカラーのシューズを履き続け、毎試合5000ドルの罰金をNIKEが払い続けた。
日本ではマイケル・ジョーダンの認知が低かった為、発売当初は売れなかった。だか、DUNKと共にスケーターに愛されるようになり、市場で旋風を巻き起こす。


4.ダンク

1985年に発売したバスケットボールシューズ。当時、マイケル・ジョーダンの活躍などでNCAA(全米大学体育協会)バスケットボールリーグが人気を席巻していた。NIKEはカレッジカラープログラムを販売戦略を企画。それは、カレッジリーグの選手が着用するシューズやアパレルを各大学のスクールカラーで統一し、それぞれカラー別に製品をパッケージで販売するというもの。その主力機種を務めたのがダンク。あくまで大学リーグ用のシューズだった為、一般的な認知は低かった。元々、耐久性の高いバスケットシューズをスケーターは愛用していたが、2トーンカラーの鮮やかな配色のダンクにも目をつけた。1990年代には生産終了しており、スケーターだけでなくコレクターも目をつけ、価格が高騰した1999年にファン待望の復刻がされ、その後にNIKE SBでもダンクが発売され、多くのスケーターに愛される。


5.エアマックス95


1995年に発売したランニングシューズ。デザイナーは当時入社4年目のセルジオ・ロザーノ。人体の骨格と筋肉をモチーフとしたデザインとなっており、アッパーはトレイルランニングでも汚れが目立たないよう配慮しグラデーションカラーにし、通気性を考慮しメッシュ素材も積極的に用いている。
日本に入ってきた時には、その見た目から「イモムシ」と揶揄されたが、木村拓哉などの著名人が履くことにより、大ヒット。「エアマックス狩り」という言葉が一般的に認知されるほどの社会現象までに。


・まとめ

いかがでしたでしょうか?紹介した中には、自分が愛用しているスニーカーもあったのではないでしょうか。現在発売されているスニーカーでも10年後や20年後にはヴィンテージ品になり、価格高騰するかも知れませんね!”オシャレは足元から”と言う言葉もあるように、スニーカーを拘れば、ファッションがさらに楽しくなるのでは無いでしょうか!

それでは🤚